鎖国の実態~実は4つの窓が開いていた:日経ビジネス電子版

投稿者: | 2019年7月23日

「鎖国」とは言っても、徳川幕府は長崎、対馬、薩摩、松前の4つの窓口を通じて、異国・異民族との交流を維持した。ただし外向的には「消極的」と断じざるを得ない。幕府の海軍力が非常に乏しかったことがその背景にある。
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